あなた、死にますよ
流行りのブランドの、秋の新作、オレンジ色とピンク色の中間くらいの、優しい色と、キラキラのラメで化粧バッチリ。
それから、新しい緑色のワンピースに、白いカーディガン。
乙女なるもの、好きな男が買ってくれたアイテムを装備すれば、自転車こいでバイトに向かうだけの元気は出るのだ。
昨日やっと彼氏…衛藤(エトウ)シンジの仕事が落ち着いて、やっと二人でゆっくりデートができた。
もうすぐハタチになる私は、貧乏なフリーター、趣味は紅茶と珈琲とゲーム。
そんな訳で、洒落た喫茶店でバイトしながら、休日は目が干からびるまで、画面中に銃乱射したり、可愛らしい動物と魚釣りに勤しむ。
シンジは28歳で、オンラインゲームで出会い、太ってるけど頭がよくて、すぐに恋に堕ちた。
でもね、さすが大人、忙しくて、月に一回か二回しか会えない。
薬局で買った8個入りコンドームを使い切るのに、4ヶ月は必要って事だ。
それでも、今のところ二箱分は続いてるし、私の恋にしては長い方。
さて、さっさとバイトに向かわなきゃいけない。
愛しい彼に、プレゼントを買いたいので、何かバイトを増やそうかとも思ってて。
休憩中の暇つぶし用も兼ねて、バイト雑誌を鞄に入れ、玄関へ。
「セイコ!今日の夕飯は?」
「今日遅いし、まかない出るから」
お母さんが少し寂しそうに「そうかい」と微笑むのを他所に、ドアに手をかける。
行ってきます。
さあさあ、自転車…。
!?
誰だ、この、オッサンは…。
確かに、それは私の自転車だ。
私の自転車に、知らないオッサンが座ってるではないか。
何が何だか…。
とりあえず、話しかけてみよう。
「あの…それ私の自転車で…今から使いたいので…」
しどろもどろになりながら、なんとか言葉を絞り出してみる。
オッサンは、痩せこけた頬を、グニャリと歪ませ、なんだか嬉しそうに笑い、こちらを見て。
「あなた、死にますよ」
意味がわからない。
時が止まったように感じる。
風やバイクや帰り道の小学生が騒ぐ住宅街の音も、ぴたりと止んだような。
何って、明らかに、このオッサンは頭がおかしな人だ。
いや、もしかしたら霊能者とか?
しかし急いでいるし、冷静に言い返す。
「そりゃ人間ですし、いつか死にますよ。自転車、返して」
そうは言いながらも、オッサンを突き飛ばして自転車を奪うまでは無理。
怖くて近付けない。
オッサンは表情を変えずに、しゃがれた低い声で語り出す。
「あなた、死にますよ。実際には死なないけど、死にますよ。まず、九川を殺したのがバレて、そろそろ逮捕されます。凶器に使ったナイフを、山に捨てたでしょ。一番大きな木の側に、埋めたでしょ」
とにかく意味不明。
九川なんて人は知らないし、人を殺した事なんか当然ないのに。
オッサンは、まだまだ語る。
「それでね、あなたが交際してる荒井コウヘイ、既婚者ですからね」
荒井コウヘイって誰だよ。
私には既に、彼氏がいるんだが…。
「覚悟していてね。井梅セイコさん」
オッサンは、宝くじでも当たったとばかりに嬉しそうに、グッバッハと笑う。
…!
なんで私の名前を?
怖くなって、家のドアを開け、お母さん!と叫んだ。
慌てて飛び出してきたお母さんに、変なオッサンがいる、ほら!と指差しながら伝えて…あれ?
オッサンが、いなくなってる。
…。
今朝の出来事を思い出して、背骨のあたりがゾワゾウ気持ち悪い。
一体なんだったのか。
「井梅さん!」
「ああっ、ごめんなさい」
名前を呼ばれて驚き、気がつく。
ボーっとしてた。
注文を取りに、席へ向かう。
フルーツパンケーキに、紅茶のおかわり…かしこまりました。
最近よく来るこの人は、いつも赤とか青とかの変な色のカツラを被って、一昔前のギャルみたいな化粧で、だいたい新聞を読んでて、独り言をブツブツ言ってる。
私のバイト先は、繁盛しすぎていて、いつもお客さんには相席をお願いする。
大抵みんな素直に応じてくれるけど、彼女は頑固として人と話したがらず、無視をされるので、いつも一人。
まあ、パンケーキを5個も6個も食べて、金を使ってくれるから、店側は、あんま気にしてない。
…それより、何で太らないのかが気になる。
不気味だ。
なんで考えていたら、パンケーキが完成したようなので、新聞ギャルの元に運ぶ。
見かけによらず、丁寧に会釈をくれるのは、いつも少し嬉しい。
こちらも会釈して、また忙しく動き回る。
…しかし井梅なんて珍しい苗字、たまたま当てずっぽうで言って、当たるもんかな。
セイコって名前も知ってたし。
あのオッサンは一体?
続く
薬
鏡を見て、深呼吸…いや、深いため息をつく。
昔は、もうちょい男前だったのに。
なんて思ってしまうのは、歳をとれば、みんな当たり前なんだろうか?
ハハ…どうかな…うむ…。
俺は若い頃から、たいした男ではなかったのかもしれない。
なんなら、子供の頃から「勝敗」は決まってたんだ。
「お兄さんなんだから、しっかりしなさい」
聞き飽きた、母さんの声。
「勇はまた100点!すごいわね!さっすが!それに比べて、あんたって子は…」
何もかも、こうだった。
あー。
俺を邪魔者扱いしたのは、家族だけじゃなかった。
クラスメイトの、イガグリ坊主が、拳握りしめ、わんわん泣いた日もあった。
「お前がいなけりゃ、ぶっちぎりだったのに!」
運動会のリレーだ。
懐かしくもなんともない、ゴミ同等の価値しかない記憶だ。
俺達のクラスは、足が速い子ばかりだった。
だから、ぶっちぎり一位だったのさ。
俺がバトンを落とすまではね。
ハハ…。
中学に入って、俺達兄弟は学校中に注目された。
弟は異名を持っていた。
それは…
「B組のアンニュイ王子」
俺も、ついでに異名を持ってた。
「王子の失敗作」
高校からは、知らない。
弟が入るような高校にゃ、どんだけ頭捻っても入れん。
はぁ。
思い出すほど、頭が痛くなるな。
弟は50代になった今でも、モテモテだ。
あいつ、最近じゃ19歳の若い嫁を迎えたが、他にも若くて綺麗な人妻と不倫している事だって僕は知ってるんだ。
不倫相手の人妻は、19歳ほど若くないが、27歳、マジで豪華な女だ。
アルビノで、不思議な雰囲気を持ってて、尻が丸くて、モデルやってる。
弟は、あのクラスの女を、当たり前のように食い散らかしてきて、今も…。
それに比べて僕は…。
ああ、また弟と自分を比べてしまった。
無理もないがね。
恥ずかしながら僕は、54歳になった今でも、バージンだ。
あ、チャンスが全くなかったワケじゃないさ。
大学生の頃はまだ告白されたりもしたよ。
だけど何もかもに消極的な僕は、一度たりとも返事をしなかった。
怖かった。
女は金がかかるとか、そんな話ばかり聞いていたもんでね。
後悔している。
あの頃の僕に教えてやりたい。
今の人生の方が、怖い。
老後一人で寂しく生きると思うと。
あの頃の俺には、まだ夢があったはずだ。
しかし今、頭にあるのは、借金の事と、自分の愚かさに対する苛立ち、それだけ。
あと、そして、今日は久しぶりに弟に会う…という憂鬱だけだ。
「兄さん、だいぶ髪が伸びたね」
「ああ、切るのが面倒でね」
向かい合った奴は、ハンサムで、高そうなスーツ、胸には輝かしい弁護士バッジ…大嫌いな弟だ。
ゴツゴツした手でフォークを持ち、奇妙なほど上手にパスタを巻いてる。
僕は気まずくて、ただその手つきを真似しながらパスタを食べる。
はぁ。
紙くずでも食ってるみたいに感じる。
なんで、こんな事になったんだ。
やっと弟が口を開いた。
「悪いけどね、兄さん。知っての通り、僕はマンションを買ったばかりだ。もうすぐ子供も産まれる。わかるね?」
「それを言うなら俺は借金を抱えてるんだよ」
「どうせ返した瞬間に、また借金するんだろ」
勝ち誇ったような顔に、胃がムカムカする。
腹立つな。
弟は続ける。
「もう助けられない。わかるだろ?今まで何回お前のために、忙しい中で無理やり時間を作ってたか。お前が世界一わかってるはずだ。それに」
あーもう。何を言うかわかってるんだ。
僕は、わざと少し大きめな声で、
「昔から父さんはお前が邪魔で仕方なかった…」
弟が言う前に、言ってやった。
それを聞いて、ニヤリと笑う弟。
父さんの遺言書を読んだ時、吐きそうになった。
なんだって、元々金持ちの弟に、全て相続させたいってんだから。
こんなに嫌な奴に。
フォークが皿に当たる音。
カチン。
ああ、僕はもう、食べ終わったのか。
「時間あるだろ?」
暇人だという前提で言ってくる弟にイラっとするが、実際に暇なのは間違いない。
ああ、と返事をしてやる。
新しいマンションを見せたいと、連れられて…。
自慢のつもりか?
これが所謂タワマンというものか…。
パッと見、30階くらいは、あるな。
無機質な灰色の冷たそうなビルが、雲を貫かんばかりの勢いで伸びている。
視線を下に戻すと、二階ぶんくらい、無駄に高さのある、デザインガラスの自動ドア。
弟は、カラフルな自動ドアの横に鍵を刺して開ける。
フワッと花の香りに出迎えられ、またもや頭にくる。
真っ白な部屋に、ソファやテーブル。
誰もいないけど、ホテルのロビーみたいだ。
そして、エレベーターの扉だけが赤く、俺達を導いてるみたいに悪目立ちしてる。
そこでも鍵を刺してる。
セキリュティは頑丈なようだ。
鍵を刺したら自動認識?するのかな?
エレベーターの扉が開き、階数を押してないのに24階に上がっていく。
耳がモワッとして、ああ、やっぱり高層階なんだな、と実感できる。
ようやく扉が開いて、廊下に出れば、様々な絵画に囲まれる。
それが、ほとんど人物画なもんで、大人数に監視されながら歩いてるみたいで。
「いらっしゃい、負け組のお兄さん」
そう挨拶されているような気分。
貸切状態の、気持ち悪い美術館を通って、部屋に向かう。
弟は、仰々しく重たそうな扉をゆっくり開けて「どうぞ好きなだけ、くつろいでね」と嫌味な微笑で俺を迎え入れる。
ちっ、と舌打ちしながらも、素直に入ってやる。
奥さんは留守のようだ。
貧乏くさい兄を見られたくなくて、奥さんが留守の日に招待したんだな。
テカテカした布…シルク?のソファに座り、足を組む。
目の前の長方形テーブルは、青いレースに包まれていて、更に、その向こうには牛一頭分くらいの、デカいTV。
それから、その左側に、螺旋階段がある事にも気付く。
階段は、踊るように弧を描きながら、闇に吸い込まれているように見える。
なんだろう。
この部屋だけでも広くて、天井も高くて、俺の部屋の五倍近くありそうなもんだが。
妙に心惹かれる。
上の階が気になって、ソワソワする…。
そこに行けば、幻のお宝か何かに出会えるような予感さえする。
「これ、ナンチャラ・ハーブってやつ。ストレスに効くんだよ」
弟が謎の茶を淹れてくれたが、上品な香りが立ち込めて、より不愉快だ。
俺は「やかましいわ」と捻くれながらも、少し飲んでみる。
苦い。
まったく、金持ちの自慢ほど嫌なもんはないよな。
わざとらしく顔をしかめてやる。
ジリリリリリリリリ。
電話だ。
弟は慌ただしく電話に手をかけながら「ごゆっくり」と微笑んでくる。
仕事の電話か?
油断しやがって。
いいよ、じゃあ、その間に見てやるよ。
螺旋階段の、上へ…。
夕日が差し込む廊下の、ひときわ目立つオレンジ色のドアを開けてみる。
おお…これは!
丸くて巨大な風呂…寝転がっても余裕だろうか。
大理石か何かの、タイル。
窓からは大都会の煌めきを一望できた。
洗面台も新しくて綺麗で…。
ん?
見覚えのある瓶。
これは確か。
思い出した。
こいつは心臓が悪い。
幼い頃から、そうだった。
発作を起こした時、薬が見当たらなければ、こいつは。
僕は。
瓶をポケットに忍ばせる。
そうだ。
僕達、双子なんだから。
入れ替わっちまえばいいんだ!
ずっと俺は我慢してきたんだ。
そろそろ、幸せになっても、いいだろ?
あー。
どう、かっこつけようかな。
これからが楽しみで楽しみで仕方ない!
ダサい人生、取り返すんだ。
あの喫茶店に行けば、だいたい相席になる。
まずは明日、相席になった人に、話しかけよう。
弟みたいに、自分のかっこよさを誰かに語る練習をしよう。
趣味が多い男のフリをしよう。
かっこいいと思ってもらわなくちゃ。
貧乏だとバレないように、金持ちっぽい仕草も忘れずね。
ハハハハ!
許してほしいなら読んでね
この手紙を読んでるって事は、あなたは無事に外で暮らせているのね。
いいなあ。
私も、アルミナ製の体に生まれたかった。
ちなみに言っておくけど、何も言わずに私を置いて行った事、まだ恨んでるのよ。
だって、聞いてよ。
シェルターの中は、とっても寒いわ。
エアコンまで頭がおかしくなったみたいで。
これじゃ、余計に外の世界がめちゃくちゃに…。
そうなっても私には関係ないかしら?
ふと、考える時があるの。
もしもシェルターが壊れてしまったら、死んでしまう。
どのくらい苦しむのかしら?
できれば一瞬で終わってほしいな。
こんな暮らしをしていたら、生きているのが馬鹿らしくなる。
というか、馬鹿だわ。
退屈で干からびてしまいそう。
朝食のデニチックは、やっぱり美味しくない。
一日十二時間、ネジを回すだけの仕事…ノイローゼになりそう。
下級生物って罵られているような気分。
夜にはカビ臭い毛布で、凍えないようにお腹を守りながら、必死に、あなたの歌声を思い出しながら眠りにつくの。
ねえ。
私はまだ、あなたを恨んでいる。
だけど、あなたが私に「愛してる」と言ったのは嘘じゃないって信じてる。
黙っていなくなった事を少しでも申し訳ないと思うなら、
私を助けて。
P.S.
ご存知でしょうけど、あのロボット探偵チームが、あなたを探しているわよ。どうか、うまくやってちょうだい。
ゴメンネ
恐怖!アゴヒゲ殺人事件
20xx年12/25
群馬県我孫子市の豪華な一軒家のリビングで、住人である34歳の超絶イケメンが死亡しているのが発見され、警察は遺体の状況から殺人事件として捜査を進めている。
警察によると、25日の朝、妻が朝起きて熱々コーヒーを一気飲みするべく、リビングに入ったところ、会社員である磯ケ谷清二さん(34)が死亡しているのを見つけ警察に通報した。
遺体を詳しく調べたところ、胸に刺された傷が大きく残っており、その中には白い毛がたくさん混ざっていた事から、警察さんは磯ケ谷さんが何者かに毛で殺害されたとみて捜査を始めた。
そして殺人の疑いで逮捕されたのは、フィンランド在住のサンタクロース容疑者だ。
警察によると、見つかった白い毛はどう見てもサンタのアゴヒゲだし、サンタはどんな家でもセキリュティを破って侵入できるから、との事で…
しかも被害者は何度も「俺は、心はまだ子供なんだ。プレゼントをくれ」とサンタにしつこく電話していたとの情報から、被害者とトラブルがあったと見ているようだ。
それに、サンタの部屋から、大量のヘアワックスが発見された。
警察は、彼がアゴヒゲをワックスで固めて、凶器として使ったと見て、彼のアゴヒゲを丁寧に調べている。
警察の取り調べに対して容疑者は「私は子供たちにプレゼントを配っていただけだ。世界中を回っていたんだから、私が犯人な訳がないだろう。アゴヒゲなんかより、私からプレゼントを届けた家を一つずつ調べてご覧なさい。そうすれば私がそんな事できないくらい忙しかった事が、わかるはずだ」と容疑を否認している。
ねぇ、あなた、この記事どう思う?
当事者としては気に入らないわ。
だって私が主人公じゃ、ないんだもの。
可哀想な妻だって言ってくれても良いのよ?
旦那は、大量のタバコだけ残して、逝ってしまった…。
よく思い出すの。
あの人、プレゼントを待ってる間、ずっと退屈で、タバコを吸うだけの機械みたいになっていたわ。
可哀想な人。
ふふ、でもね…。
私は犯人を知っているのよ。
ね?
あなたも、きっと、すぐに知る事になるわよ。
ふふふふふふふふふふふふふふふ
メリークリスマス!
「事故シャツ」って知ってますか?
朝11時。
秋の匂いが、鼻をつく。
窓を開けっ放しにして眠っていたようだ。
ああ、なんとも、清々しい九月のイッピ…。
僕の人生は今日、始まった。
昨日までの僕の毎日は最悪だった。
借金漬けになって、初めて一円玉の有り難みを知ったし…一円を笑う者は一円に泣くって、よく言うし…。
毎朝、まだ暗いうちに起きて、札束をめくりながら「今月末までにあと何万円」と確かめ、鉛のように重い体を起こし、フラフラしながら歯磨きして、働きに出かけた。
重い荷物を必死に運び、走り、謝り、それだけの毎日だった。
街ゆく水商売らしい派手な女を見ては「二度とキャバクラなんか行くもんか」と誓った。
それが、今日から自由になったのだ。
財布を開け、いつも通り札束をめくった。
この12万円、自由に使えるだなんて。
どこにも振り込まなくていいなんて。
夢のよう…!
とりあえず何か贅沢をしたくなって、街に出る事にした。
歯磨き粉が、やたら美味しく感じた。
着替える時になって、気が付いた。
イケてる服がない。
よし、行き先は決まりだ。
そんなわけで、僕は、あの服屋に入ったんだ。
完璧なデザイン!
僕は店員に「これが欲しいです」と伝えた。
8,000円と、だいぶ高いけど、いい男を気取るなら、お気に入りの高いシャツ一枚くらい持っておくべきだ。
ワクワクした。
早く着てみたくて、貧乏ゆすりしないように気を付けた。
ツンとした香水の香りを携えた店員が、マネキンのシャツを脱がせ、試着室まで案内してくれた。
いよいよ、だ。
シャツを受け取り、試着室に入った。
着てみると、そこにはハンサムな男がいた!
目がキリッとしてて、一生懸命に働いたお陰様で腕の筋肉もいいかんじ、日焼けして健康的になって、このシャツが世界で一番にあうのは僕だ、と確信できた。
あとは髪型を変えて、髭も生やそう。
試着室のカーテンを開け、店員を呼んだ。
買いますと伝え、また、これは着ていく事にした。
レジでお金を払おうとした。
ツンとした香水の店員が、笑顔で話してきた。
「すごくお似合いですよ」
「へへ。ありがとうございます」
「だけどね、お客様…お買い上げになる前に聞いていただきたい事があるんです」
「はあ、なんでしょう?」
「そのシャツ…」
店員は、ふうっ、と息を吐き、
「告知事項が、ございまして…」
告知事項?
そんな言葉を不動産屋さん以外で聞く事なんて…。
一応、はい?と聞き返してみたが。
「ですから、告知事項が、ございます」
自分でも目をまん丸にしている事が、よくわかった。
この服屋さんは、変だ。
店員は続けた。
「いわゆる、いわくつき。事故シャツなのです」
何を言ってるんだか、サッパリだが、店員の話を聞いておいた。
なんでも、前の持ち主が、やけに不幸だったとか。
このシャツを買ってからというもの、夏場にエアコンが壊れたり、いくら掃除しても部屋に虫が出たり、処女だったはずの婚約者に浮気されたり、顔を蜂に刺されたり。
ついに、シャツを店に返しに来たんだとか。
確かに、ここの店のシャツは殆どが一万円を超える値段で売られていた。
これは、見た中では一番かっこいいのに、一番やすかった。
だけど、僕には、このシャツが似合いすぎた。
さっき聞いた話なんかより、かっこいいシャツを着ている事が嬉しくて、スキップの勢いで店を出た。
さて、噂のオシャレな喫茶店にでも行ってみようかな。
?
電話だ。
知らない番号だけど、なんだろう。
出てみようか。
「もしもし、村上さんのお電話で、お間違いないでしょうか?」
「はい、村上ですよ」
「落ち着いて聞いてください。村上さんの、出会い系アプリの利用料金の滞納について裁判が始まるところです…」
!?
「さ、裁判!?僕まず出会い系アプリなんか使ってないですけど」
「それが、村上さんの携帯からのアプリの利用履歴が残っております」
酔っ払って登録してしまったんだろうか?
今まで月一回の休日には、浴びるほど酒を飲んで、なんとか過ごしてきたから。
黙って電話を聞いた。
「今すぐ未納料金200万円を支払っていただかないと、財産差し押さえも…」
またか。
僕はまた、借金するのか。
とにかく、さっさと200万円は借りて、払っちまおう。
振り込んだら、今日は贅沢して、そっからまた働きゃいいんだ。
end
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
やたら不幸な人って心に余裕がなくて、なんでも何かのせいにし始めるんですよね。
だからといって自分を責めてばかりいると心が死んでしまいます。
大抵お金がない時ってのは危険なんです。
ゆっくり休む時間を作るためにも、頑張って働かなくちゃね。
怠けるのにも金がいる、こんな世界に生まれてきた事を恨みましょうね。
あと、詐欺には気をつけてね。
村上さんより
あんな喫茶店、二度と行くもんか!
Googleマップを頼りに、なんとかたどり着いた、そこの看板は喫茶店らしからぬ鮮やかなピンク×水色のメルヘンな色合いで誘ってきた。
この時代にも煙草が吸えて、
世にもフワフワなパンケーキに様々な種類の果物とクリームを乗せてくれて、
肝心のコーヒーも香り豊かでゴージャスな味わいだと、
喫茶店めぐりが好きな後輩から噂に聞いて、
今日は張り切って新しいシャツの試運転に、この場所を選んでみた。
さっそく扉を開けて、噂通りの甘い香りに胃袋がキューっとなった。
おなかすいた。
残念なのは意外にも騒がしいって事だけだ。
店員が小走りで向かってくる。
「すみません、ただ今、混み合っておりまして。相席をお願いできませんか」
「ああ、大丈夫ですよ」
申し訳なさそうに「こちらのお席へ」と通された、その席に座って、向かい合った女が会釈してきた。
「すみません」
何に謝ってんだか知らんけど、そう言われ僕も釣られて「すみません」と言った。
とりあえずコーヒーを頼み、煙草に火を付けた。
灰皿も可愛らしいピンク色で、いい場所だなぁとウットリしていた。
向かいの女は、長い金髪をテーブルに垂らしていたが、それでもチラチラ見える顔が整っている事はわかった。
喪服を着ていて、泣き腫らしたような目で、自身の左手の薬指で鋭く光る指輪を、じっと見ていた。
あの輝き、まだ新しい指輪なのだろう。
女は表情のない唇を震わせながら、テーブルを見つめていた。
しばらくして、人形のように痩せ細った指で煙草を取り出す女。
この人も吸う人なんだ、と安心。
まあ喫煙目的店って入り口にも描いてあるし、なんて考えていた。
もしゃっ。
女は、煙草を食った。
僕は吸っていた煙草を思わずテーブルに落としてしまい、急いで拾った。
驚いて声が出そうになった。
とりあえず一吸いした。
なんなんだ、この女。
頭おかしいんじゃねえのか。
前を見ないように、テーブルに目を落としたが、あの硬そうな指が、次々と箱から煙草を取り出す…。
もしゃ、もしゃ。
次々と煙草を食い、鞄から新しい箱を取り出し、ビニールを剥がして、また食う…。
溢れた葉っぱが、テーブルにポロポロ落ちて、汚らしい。
もう、いい加減にしてくれよ。
「お待たせしました」
店員の若く尖った声にビクッと驚いた。
お待ちかねのコーヒーが運ばれてきた。
向かいの女も偶然コーヒーを頼んだところだったようで、二つのコーヒーが、それぞれの前に置かれた。
ふわっと安心感のある温かいコーヒーの香りがして、はっとした。
そうだ。
僕はコーヒーやパンケーキを楽しみに来たんだった。
訳の分からない女など気にせず、まずはコーヒーと煙草でリラックスするんだ。
僕は、コーヒーと煙草が世界で一番すきなんだから。
さて、さっそく一口…とマグカップに手を伸ばし、ちらっと前を見てしまった。
ゴク、ゴク、ゴク…。
女は空になったカップをテーブルに置いた。
嘘だろ、この女…一気飲みしやがった?
コーヒーは湯気を立てて、猫舌の僕に危険を知らせていた。
とりあえず少しだけ啜ってみた。
熱い。
ここのコーヒーは、めちゃくちゃ熱い。
女は煙草を三本、取り出して口に突っ込み、伝票を持って、せかせか去った。
結婚したばかりで旦那が死んで、ショックで仕方なかったんだろうか?
そう思うと、可哀想だな、と思った。
店員がやってきて、テーブルに散らばった葉っぱを掃除してくれた。
会釈すると、店員が言った。
「ごめんなさいね。あの人いつも、ああなんです。ここ三年くらい」
もういいや。
やっと変な女もいなくなったし、とりあえず本でも読もう。
鞄に手を突っ込んだ。
「すみません!相席お願いします」
店員が、今度は高そうなスーツを着た初老の男を連れて来た。
見るからに金持ちってかんじだった。
ブランドやら、スーツやら、僕は詳しくないけど、彼のスーツや鞄が、僕には買えないような代物だってのは一目でわかった。
「失礼しますね」
柔らかい声でそう言われ、頷いた。
彼の胸には、金メッキが剥がれ、殆ど銀になった弁護士バッジ。
すごい人なんだなぁ、と思ったが、知らない人だし、本を開いたら、すぐに彼の存在なんか忘れた。
名探偵の冒険を続けるべく、活字を目でたどり、ワクワクし始めた。
「お冷ください!」
ビックリした。
声でか!
弁護士はあろう事か、とんでもなくデッカい声で、少し遠くにあるカウンターに向かって叫んだ。
それから何事もなかったように僕の方を向き、今度は話しかけてきた。
「あのう。煙草一本くれませんか」
「構いませんよ」
僕は箱から五本取り出し、彼の前に置いてあげた。
彼はテーブルにあった僕のジッポを勝手に取って火をつけ、石塚英彦も驚くほど美味しそうにフゥッと煙を吐いて、満面の笑みで話しかけてくる。
「三日ぶりの煙草なんです。あーっ、美味しい。すぅぅぅっ、ぷはぁぁあ。ありがとうございます!あなたは命の恩人です」
なんだか変な人だな、と思いながら「どうも」とだけ言い、僕は、わざとらしく本に視線を戻した。
なんで、そんなに煙草が好きなのに三日も吸えなかったんだ?
弁護士なら…その服装なら…しかも喫茶店に来る金があるなら煙草くらい買えるだろうが。
店員が持ってきたお冷を、ズズーっと啜って、またこちらを見てきた。
こいつ気持ち悪いな…。
また、あの柔らかい声が聞こえてきた。
「お兄さん喫茶店めぐりが趣味なんですか?実は僕もなんです。あと、釣りも好きでね。ゴルフも好きです」
意味不明なマシンガントークに、適当に「そうですか」「へぇ」と相槌を打ちながら、なんとか物語の世界に逃げようと僕は必死だった。
しかし、やたら耳につく弁護士の声。
「僕は趣味が多くてね、こう見えて将棋なんかも好きだったりします。最近はプロレス観戦にハマってて」
水を飲みながら、よく早口で喋れるな。
何かの大会に出るつもりだろうか。
弁護士は、まだまだ喋り続ける。
「そんでね、お酒も好きで、この頃は動物園に行ったり、お冷くださーーーい!!!」
急に大声を出すの、頼むから、やめてくれないかな…。
店員がまた水を運んで来るまでも、弁護士の意味不明なマシンガントークは止まらなかった。
僕は真面目に本を読むのは諦め、本を閉じてテーブルの脇に置き、コーヒーを結局、飲んでない事に気付いた。
冷めたコーヒーを飲み切る間に店員が弁護士に水を持ってきたので、せっかくだから温かいコーヒーが飲みたくて、おかわりを頼んだ。
「コーヒーが好きなんですか?僕もです」
嘘つけ。
お前さっきから水しか飲んでねーだろ。
もう、イライラしすぎて頭がボーっとした。
僕はただコーヒーやパンケーキを楽しみに来ただけなのに。
ゆっくり本を読みながら、煙草を吸いたかっただけなのに。
なんで、こんな目に遭うんだ。
「お冷くださああああぁぁあああぁああああぁぁあああぁああ」
またかよ!?
弁護士は、いつの間にか水を飲み切っていて、僕のコーヒーも目の前にあった。
また冷めてしまった。
こいつの話に適当に相槌を打っている間に、コーヒーが冷めてしまった。
もう帰ろうかと思ったが、その時、あの尖った声の店員がやって来た。
「お客様、水ばかり飲まれていては困ります。せめて飲み物一杯だけでも…」
「じゃ、もう帰るわ!」
弁護士?は伝票を持って去った。
はぁ、やっと普通に喫茶店を楽しめる…。
本を読みながら、煙草を吸いながら、コーヒーを四杯いただいた。
今まで気付かなかったけど、ここのコーヒーは泥水みたいな味がするな…。
「何度もすみません」
店員の声がした。
また相席だ。
今度、僕の前に座ったのは、着物姿の美熟女だった。
銀座が近いし、クラブのママってやつかな、と僕は勝手に予想した。
彼女はオレンジジュースを頼むと、肘をついて、深ぁいため息をついた。
「あんた、さぁ」
女が話しかけてきた?
「アタシと、どうするつもり」
え?僕に言ってんの?
と思ったが、タバコを食う女や、お喋り弁護士に疲れていたので無視を決め込んだ。
「アタシはね、あんたと、大きな庭がある一軒家を買って、子供を三人産んで、老後は野菜を育てたりしたくて、さ」
知らねえし、誰だよ。
「ずいぶん待たされて…アタシもう40よ」
女は上品な手付きで白いレースのハンカチを帯から取り出し、目に押し当てた。
オレンジジュースが運ばれてきて、僕は忘れかけていたパンケーキを頼んだ。
無視してパンケーキ食ってたら、さすがに諦めて帰ってくれるだろ。
女は、しばらくただ泣いていた。
静かに泣いているだけなら気にならないか、と僕は本を読みながら、パンケーキを待った。
「お待たせしました」
やっと、噂のパンケーキとご対面だ。
想像していたよりクリームとフルーツのボリュームがあり、大好きなラズベリーもたっぷり散らされていて、ワクワクした。
フォークを手に取った。
「うるさい!!!」
テーブルが吹っ飛んで、隣の客がバタバタと立ち上がった。
女は、テーブルをひっくり返した。
唖然としている間も、女は怒鳴り散らした。
「アタシの人生どーなるワケ!?あんたと生きるために貴重な若い時間も失った!アタシの人生、返してよーーー!!!」
肩で激しく息をしながら、般若のような顔でスマホを取り出し、画面をタップ、イヤホンを外し、コーヒーやクリームでビッチャビチャの伝票を持って、女は去った。
もう、たくさんだ。
僕は泣きそうになりながら、汚れた本を拾いあげた。
もうすぐ読み終わるとこだったのに。
店員がやってきて、何やら謝りながらテーブルを起こし、タオルを渡してきた。
僕の新しいシャツも、コーヒーとクリームだらけだった。
思わず、顔を両手で覆ってしまった。
「あの、良かったら…」
ふと声がした方を見てみたら、隣にいた客が、紙袋を渡してきた。
「あの、この服、売りに行ったら、50円だって言われまして…売るのやめたんです。良かったら着て帰ってください」
涙が出た。
なんて優しい人なんだろう。
僕は彼に1000円札を三枚渡し、頭を下げながら紙袋を受け取り、トイレに駆け込んだ。
良かった、良かった。
清々しい気持ちで、紙袋を開けた。
色々あったけど、優しい人もいるもんだ。
しかし、何故あの喫茶店には変な人ばっかり来るんだろう?
とにかく、あんな喫茶店には二度と行きたくないな。
体がどっと疲れた。
心のストレスは体にも影響するもんだ。
やたらと肩が凝った。
さて、家に帰ろうかな。
虎の着ぐるみを着て。
end
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
トラブルは連続して起こるもんです。
何故でしょうね?
もしかしたら、その時の環境が悪いのかもしれません。
僕の知り合いに自称「男運が皆無」な女性がいたんですよ。
彼女、付き合う男は毎回マジで頭おかしい連中で、一体なんでだろう?と不思議に思ってたんです。
美人だし、優しくて、誰にでも好かれる、料理も上手だし、奥さんにするなら理想的な女性なんですね。
ところが彼女の行きつけのバーに連れて行ってもらったら、常連は変な人ばかりで。
なるほど彼女は、そこで毎回、男と出会っていたんです。
なんしろ、そこしか遊びに行く場所がないんだとか。
しかも、あの箱入り娘、最初の男も、そこで出会ったロクデナシだったもんだから、ロクデナシとマトモの区別がついてなかったんです。
今はマトモな彼氏と同棲して暮らしていて、あー良かった、と…。
その彼氏は、新しい職場で出会ったらしいんですね。
良かった、良かった。
世にも頭のおかしな人が集まる場所って、あるもんなんですよ。
まあ、この話も作り話なんですけどね。
haha
まあでも一応、皆さんも、お気をつけて。
それじゃ、ね。
村上さんより