『叶わぬ恋』そして『完全なる愛』
「なあ、頼むぜ…美咲」
「嫌だ」
「俺に床で寝ろって言うのかい」
「私に一晩中 怯えてろって言うわけ」
「何もしないってば」
嘘だわ。
男がいきなり電話してきて、家に上がるだなんて、お金がなくて娼婦も相手にしてくれなかった時くらいじゃない。
オマケに、こんな言い訳…。
「本当なんだ。本当に、目を覚ましたら、血塗れだったんだ。ベッドを見せたいよ。困ったな。信じてほしいんだ」
あり得るわけない。
それに、もし本当ならば。
「あんた警察に通報しなさいよ」
「怖いんだ」
馬鹿な男だこと。
怖かったら、尚更すぐに警察に駆けつけて助けてほしいはずよ。
「知らない。おやすみなさい」
ガチャリ。
受話器を、いくらか乱暴に置き捨て、冷めてしまった緑茶を飲んで。
あの男と出会ったのは、昨晩のこと。
久しぶりに街まで出て、ふらっと立ち寄ったジャズ・バーで、ひとり白ワインを嗜んでいたら。
「あちらのお客様からです」
まあ、ドラマみたい。
あちら側には、緑色の変わった上着を着て、イタズラっぽく頬杖をつき、笑顔を浮かべる痩せた髭面。
気取り屋の面倒な男ね。
自慢だけど、私はかなり美人で、女優にならないかと、よく声を掛けられるの。
だから、ハンサムな男としか話したくない。
それに…。
私は笑顔を返し、立ち上がり、カクテルを持って彼の隣に座った。
「私、美咲。お酒ありがとう」
「君が綺麗だからさ」
「何百回も聞いてるわよ」
そう、もっと斬新な口説き文句を求めてるのよ。
ハンサムな男くらい、この私には、いくらでも寄ってくる。
だけど、それだけで私を靡かせるなんて、できないわ。
特に馬鹿な男はダメね。
紫色のカクテルが、怪しく光って見える。
私は、彼に教えてやろうとしたの。
「ねえ、あなた。ブルームーンのカクテル言葉をご存知?」
「知ってるのかい?」
「ええ。『叶わぬ恋』よね。口説く時に奢るようなお酒じゃないわ」
「君は知らないんだな。ブルームーンには二つの意味があるんだ」
得意げに、語り出す男。
「それには『叶わぬ恋』って意味と『完全なる愛』って意味がある」
ウイスキーを、チビっと舐め、すこし顔を近づけてきて。
「わかるかい?」
私は、知識を得た事と、男の仕草が意外にも上品な事にドキドキしながらも、不敵に笑み「さあ」と言う。
「つまりね…どっちの意味になっても、俺は構わない。こんな俺だけど、君さえ良ければ、君と少しでも話してみたかっただけなのさ」
気取り屋だけど、謙虚な人。
気に入った。
「ねぇ、それなら、少し公園を散歩しましょうよ」
そう、それから私達は公園を歩いて。
そこから、記憶が曖昧で。
あの後、少しだけ彼の部屋で映画を見たのを覚えてるわ。
目を覚ましたら、ソファ、夕方で、電話番号のメモを財布から見つけ、夕日が照らす橙色のリビングの中、3歩だけ歩いて、彼の番号、ダイヤル回して。
「私あんまり昨日の事、覚えてなくて…大丈夫だったかしら?」
彼は、酔い潰れた私を家まで送ったらしく。
まさかエッチしてないかと不安になったけど、そうだったら私は下着を履いてないはずだわ。
エッチした後に、前の同じ下着を履くのは、なんだか苦手なんだもの。
いや、それより、ソファで呆然としたまま二度寝してしまって。
先程…。
午前二時…電話で起こされて。
ベッドが血塗れだから、家に泊めてくれ、なんて言われて。
一気に冷めちゃった、ってとこ。
馬鹿な男は、みんな消えちゃえばいい。
そんな嘘を信じる女に見えたかしら?
スカートが派手な赤色で、短かったから?
髪を結んでなかったから?
カクテル言葉を知らなかったから?
はぁ。
とにかく今夜は疲れてるのよ。
仕事から帰って、すぐ、ソファで寝てしまい、夜中に電話で起こされて。
さっさと、ベッドで眠りましょう。
…えっ。
これ、って。
見覚えのある緑色のジャケット。
彼のだわ。
とりあえず、ハンガーに、掛けておきましょう。
コロンっ。
小さな瓶が、床に転がり落ちる。
『俺を試せば 君はスターになれる
その後 最悪の悪夢に 魘されるだろう』
噂で聞いた事がある、魔薬。
間違いない。
青い花びらが入った小瓶なんて、あの噂でしか聞いた事ないんだから。
考えてみれば、彼は特別ハンサムでもなかったし、ただ、カクテルに詳しいだけ。
きっと普段から、あんな気取った事をするような人じゃない。
私をまやかしたのは、この小瓶だったのね。
彼のポケットに手を入れると、冷たく固い感触を覚え。
空の小瓶が、たっぷりある事に気付く。
幸いにも、彼の部屋の場所は、なんとなく覚えてる。
ああ。
彼が『叶わぬ恋』をしていたのは…。
『完全なる愛』なんて理想でしかなくて。
なぁんだ、
可哀想な男だわ。
私は彼に、緑色の上着と、
小瓶を届けに向かう事にした。
所詮、恋なんて、ごっこ遊びで充分なんです。
相手が「ただの人間」だと気付いても、
愛おしく思えたら、そりゃもう運命です。
って近所のボケ入った爺さんに言われたんですけど。
僕には、まだよくわかりません。
ただ「ごっこ遊び」の恋…というか、
人生ずっと何かを演じているような、
そういう気持ち悪さに、気付くキッカケになりました。
誰でも、家族に見せる顔、友達に見せる顔、職場で見せる顔、色々あるでしょ。
それが当たり前なんだけど…。
やっぱり自然体でいても許してくれる人がいたら嬉しいよねって。
これ読んでる人は、そういう人達or馬鹿にしてる人達、なので、書いててストレスないです。
ありがとう。
村上さんより