「事故シャツ」って知ってますか?
朝11時。
秋の匂いが、鼻をつく。
窓を開けっ放しにして眠っていたようだ。
ああ、なんとも、清々しい九月のイッピ…。
僕の人生は今日、始まった。
昨日までの僕の毎日は最悪だった。
借金漬けになって、初めて一円玉の有り難みを知ったし…一円を笑う者は一円に泣くって、よく言うし…。
毎朝、まだ暗いうちに起きて、札束をめくりながら「今月末までにあと何万円」と確かめ、鉛のように重い体を起こし、フラフラしながら歯磨きして、働きに出かけた。
重い荷物を必死に運び、走り、謝り、それだけの毎日だった。
街ゆく水商売らしい派手な女を見ては「二度とキャバクラなんか行くもんか」と誓った。
それが、今日から自由になったのだ。
財布を開け、いつも通り札束をめくった。
この12万円、自由に使えるだなんて。
どこにも振り込まなくていいなんて。
夢のよう…!
とりあえず何か贅沢をしたくなって、街に出る事にした。
歯磨き粉が、やたら美味しく感じた。
着替える時になって、気が付いた。
イケてる服がない。
よし、行き先は決まりだ。
そんなわけで、僕は、あの服屋に入ったんだ。
完璧なデザイン!
僕は店員に「これが欲しいです」と伝えた。
8,000円と、だいぶ高いけど、いい男を気取るなら、お気に入りの高いシャツ一枚くらい持っておくべきだ。
ワクワクした。
早く着てみたくて、貧乏ゆすりしないように気を付けた。
ツンとした香水の香りを携えた店員が、マネキンのシャツを脱がせ、試着室まで案内してくれた。
いよいよ、だ。
シャツを受け取り、試着室に入った。
着てみると、そこにはハンサムな男がいた!
目がキリッとしてて、一生懸命に働いたお陰様で腕の筋肉もいいかんじ、日焼けして健康的になって、このシャツが世界で一番にあうのは僕だ、と確信できた。
あとは髪型を変えて、髭も生やそう。
試着室のカーテンを開け、店員を呼んだ。
買いますと伝え、また、これは着ていく事にした。
レジでお金を払おうとした。
ツンとした香水の店員が、笑顔で話してきた。
「すごくお似合いですよ」
「へへ。ありがとうございます」
「だけどね、お客様…お買い上げになる前に聞いていただきたい事があるんです」
「はあ、なんでしょう?」
「そのシャツ…」
店員は、ふうっ、と息を吐き、
「告知事項が、ございまして…」
告知事項?
そんな言葉を不動産屋さん以外で聞く事なんて…。
一応、はい?と聞き返してみたが。
「ですから、告知事項が、ございます」
自分でも目をまん丸にしている事が、よくわかった。
この服屋さんは、変だ。
店員は続けた。
「いわゆる、いわくつき。事故シャツなのです」
何を言ってるんだか、サッパリだが、店員の話を聞いておいた。
なんでも、前の持ち主が、やけに不幸だったとか。
このシャツを買ってからというもの、夏場にエアコンが壊れたり、いくら掃除しても部屋に虫が出たり、処女だったはずの婚約者に浮気されたり、顔を蜂に刺されたり。
ついに、シャツを店に返しに来たんだとか。
確かに、ここの店のシャツは殆どが一万円を超える値段で売られていた。
これは、見た中では一番かっこいいのに、一番やすかった。
だけど、僕には、このシャツが似合いすぎた。
さっき聞いた話なんかより、かっこいいシャツを着ている事が嬉しくて、スキップの勢いで店を出た。
さて、噂のオシャレな喫茶店にでも行ってみようかな。
?
電話だ。
知らない番号だけど、なんだろう。
出てみようか。
「もしもし、村上さんのお電話で、お間違いないでしょうか?」
「はい、村上ですよ」
「落ち着いて聞いてください。村上さんの、出会い系アプリの利用料金の滞納について裁判が始まるところです…」
!?
「さ、裁判!?僕まず出会い系アプリなんか使ってないですけど」
「それが、村上さんの携帯からのアプリの利用履歴が残っております」
酔っ払って登録してしまったんだろうか?
今まで月一回の休日には、浴びるほど酒を飲んで、なんとか過ごしてきたから。
黙って電話を聞いた。
「今すぐ未納料金200万円を支払っていただかないと、財産差し押さえも…」
またか。
僕はまた、借金するのか。
とにかく、さっさと200万円は借りて、払っちまおう。
振り込んだら、今日は贅沢して、そっからまた働きゃいいんだ。
end
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
やたら不幸な人って心に余裕がなくて、なんでも何かのせいにし始めるんですよね。
だからといって自分を責めてばかりいると心が死んでしまいます。
大抵お金がない時ってのは危険なんです。
ゆっくり休む時間を作るためにも、頑張って働かなくちゃね。
怠けるのにも金がいる、こんな世界に生まれてきた事を恨みましょうね。
あと、詐欺には気をつけてね。
村上さんより